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Storyweaving Workshop #1, RAIN

プロフェッショナルデザイナー向けのクリエイティブワークショップ

ストーリー・ウィーヴィングとは、「プロジェクトの初期に設定したコンセプトをその後も柔軟に練り直し続け、よりよいものに洗練させていく」手法だ。この手法は、Takram が様々な製品開発プロジェクトやデザイン・エンジニアリングに関わるプロジェクトを通して導き出したもので、今もなお実務を通して進化を重ねている。この手法をより多くの人に伝えるため、出版社のダイヤモンド社が運営するデザイン・マネジメント・ネットワークと共同で、Takramのディレクター渡邉康太郎が、ストーリー・ウィーヴィングの企業向けの研修ワークショップシリーズを運営している。

チャレンジ: 今日のプロジェクト運営におけるコンセプトの扱い方

製品開発には「ものづくりとものがたり」、すなわち「作ること(具象面)」と「語ること(抽象面)」の両方が必要である。それらは単体で存在するものではなく、互いが互いを形づくり、さらには高め合っていく相互刺激のなかで成立すべきだ。

製品コンセプト、デザインから開発、マーケティングやPRに至るまで、今日のものづくりは縦割型分業により、単一的・不可逆的プロセスのもとで行われる傾向がある。デザイン、エンジニアリング等の各領域の専門家は、お互いに深い意思疎通を図るに至らず、順に各々の仕事をこなしていることが多い。すると初期設定されたコンセプトと実際に完成したプロダクトの内容が一致していなかったり、ものづくりが完成した後に、PR的なコンセプトが付与されるケースが発生する。このような事例をしばしば目の当たりにし、Takramは強い問題意識を抱き始めた。製品デザインに限らず、これからのプロジェクト運営には、強固なイデオロギーの枠組みと手法が必要となる。

プロダクトデザインや製品開発のみならず、多くのプロジェクトにおいて概念面の拠り所は必要不可欠だ。 あらゆるプロダクトや製品には、その基礎をなす思想としてコンセプトが付随しているが、今日の一般的なプロジェクト運営におけるコンセプトの扱い方には、まだ改善の余地があるのではないだろうか。ストーリー・ウィーヴィングの考え方はそのような問題意識がきっかけとなり生まれたものだ。

アプローチ: クリエイティブ・トレーニングプログラム

Takramは、2010年よりDMN(ダイヤモンド・デザインマネジメント・ネットワーク)に参加する企業デザイナーやエンジニアと、この新しい手法を体感するための『「ものづくり」と「ものがたり」のワークショップ』を開催している。

効果的ブレインストーミング、概念の具象化、組織間のコミュニケーションといったテーマのもと、異なる企業の社員同士がチームを組み、実際にプロダクトを企画・製作するものだ。このプログラムの対象者は、デザイナーやエンジニアといった職種に限らず、企画、マーケティング、ビジネス戦略、営業や経営者を含む、幅広い分野で活動しているプロフェッショナル。 参加者はDMNの会員企業のデザイナーやエンジニアが中心だが、その他からの参加も多い。

ケーススタディ

以下には、20102011年に行われたワークショップでの成果を紹介する。なお、メソッドや背景についてはダイヤモンド社から刊行されている書籍「ストーリー・ウィーヴィング」に詳しい。本書では、クライアント社内の経営陣や実際のプロジェクトメンバーへのインタビュー、社外の専門家やユーザへのヒアリング、様々なワークショップ、その他の種々のメソッドからなる、ストーリー・ウィーヴィングのテクニックについて詳述されている。

虹の傘

「虹の子どもたち」というのはハワイに伝わる言葉です。様々な肌の色の子どもたちが一緒になって学び、遊ぶ様子を表現しています。南方の島に限らずとも、世界中の子どもたちが分け隔てなくつながることができればと、三名のデザイナーは当初この作品に「Rainbow Children」という名前をつけました。

一見鼠色に見えるこの傘は、実は一面偏向フィルムによって作られています。二つの傘を重ね合わせると、その部分に虹のように鮮やかな色模様が浮かび上がります。回転させると、それに応じて現れる色が変化します。

この傘は、街で出会う子どもたちが、雨の日ならではのコミュニケーションによって親しくなるきっかけを作ります。雨上がりを待たずしても、虹の彩りを楽しむことができます。そして、一見陰鬱にも感じる雨の日に、人と人とが「近付き合う」機会を作り出します。

傘というプロダクトは本来、差すことにより結果的に一人分のパーソナル・スペースを明示的に表現します。本来隣り合う二人の「距離感」を作り出すものである傘を、逆に「近づき合う」ための道具として再解釈しました。雨の日の人と人との関係性を、虹のように鮮やかにブリッジしています。

Umbrellas of Rainbow: “Distance” Reclaimed by Umbrellas on a Rainy Day

水たまりのキノコ

都市部ではアスファルトが地表の大部分を覆っています。雨が降ると、通常水は地面に浸透したり、側溝に流れ込んだりするものですが、アスファルトの上では暫く流れずにそのまま水たまりとして残ることもあります。これは、本来あるべき自然の水の循環を阻害しているといえます。このような水たまりは、自然環境と人工環境の不調和を象徴しているようにも見えます。

「水たまりのキノコ」は、水はけの悪い都市部のアスファルトに置く吸収剤です。水は逆浸透膜になっている茎の部分を通じて、高吸水性ポリマーの傘の部分に吸い上げられます。傘の表面は伸縮するラテックス製なので、吸水する程に膨張していく仕組みになっています。いざ雨があがれば、晴れの日に外で乾燥させたり、植物のもとに置いたりして、水やりの代わりにすることもできるでしょう。

三名のデザイナーは、大都市の商店街や学校のグラウンドに残りがちな水たまりに着目しました。この作品を使用する際には、雨上がりにキノコの素を「撒き」、窓辺から眺めながらその「成長を待ち」、しばらくしてから大きく膨れ育ったものを「摘み取る」という脈絡のなかで一連の行為が成されます。あたかも実際にキノコを栽培しているかのような体験です。雨上がりに澄んだキノコがそこかしこに林立する様子は、日常とはかけ離れた微笑ましい風景として周囲に映ることでしょう。自然環境と人工環境が調和するように、その間を媒介する作品です。

空模様のラジオ

ダイヤルを操作するラジオの魅力は、「偶然の出会い」にあります。家で一人きりの夕方、または旅先のホテルについて夜、どんな音楽を聴こうかと、ふとラジオをつけてしまう人は決して少なくないでしょう。少しづつダイヤルを回し進めていくと、突然スコットランドのバグパイプの曲が流れてくるかもしれません。または、アルゼンチンのタンゴが聴こえてくることも。ラジオの楽しみは、新しいものに偶然出会う旅の楽しみにも似ています。

このラジオのダイヤルの周囲には、周波数が書かれていません。その代わりに、世界地図が印刷されており、切り替えると世界中のラジオ局の放送を楽しむことができます。ただ、ダイヤルを回したその地域でもし雨が降っていれば、局と局の間に静かな「雨音」が聴こえてきます。ロンドンのにわか雨。ムンバイのモンスーン。東京の五月雨。プノンペンの驟雨…世界中に置かれたマイクの拾う雨音が、柔らかなノイズ音に紛れて聴こえてきます。運が良ければ、ナミブの砂漠に一年に一度だけ降る雨に出くわすかもしれません。この作品は、雨音という共通のサインを手がかりに、世界中を旅する「水」を追いかけます。

いま、世界の裏側のラジオステーションでは、どのような音楽が流れているだろう。そしていま、その土地の天気はどうだろう。同じように、偶然に任せてダイヤルを回します。

朝露のドレッシング

花弁についたビーズのような水滴は、鮮やかに花束を飾ります。また、俄雨に振られ、雨宿りのために軒先に駆け込んだ女性の髪の毛から滴る雨粒は、それだけで一つの妖艶さを物語ります。このように雨のある風景には、または「一滴の水」そのものには、彩り、華やかさ、涼やかさ、美しさなど、シーンによって様々な側面を見出すことができるでしょう。

この作品は、トマト専用のドレッシングとそのボトルから構成されます。水滴のようにも映るゲル状の液体が柔らかな雲を想起させるような形状のボトルから振りかけられます。ドレッシングを浴びたトマトは、あたかも雨上がりの朝に収穫されたかのような生き生きとした新鮮さを帯びます。瓶の中にある調味料は、「空気に触れると湿度を吸収してゲル化する」仮想のマテリアルとして、結晶化した酢酸と食塩の混合物を想定しています。

三名のデザイナーは、「朝の雨上がりの畑」に広がる生命感に彩られた美しい景色から創作への着想を得ました。その畑に実る熟した野菜や果物。大地の恵みをより美しく、そしてより瑞々しく演出してくれる装置として雨を解釈しました。雨や朝露によって数滴の雫を纏ったトマトの瑞々しさは、どんな盛り付けにもまさる美味しさを醸すでしょう。雨は空からのドレッシングです。

曇りガラスのブラインド

窓というものは物理的にも象徴的にも自身と外界とを時には隔て、時に繋ぐものです。そして、自身と外界との距離感はしばしば天候によって左右されます。窓越しに見えた景色がもし晴れ渡っていれば、心が躍るように外へと誘われるでしょう。またもし雨が降っていれば、今日は家にいよう、と考えるかもしれません。

このパーティションは、まるで窓のように覗きこむとそこに様々な天気を映し出します。少し視界を曇らせる程度の薄い霧雨から、強風とともに襲う豪雨まで、強さも厚みも異なる様々な顔をした雨が立ち現れます。この操作によって、向こう側との距離感を自在に調整します。曇りガラスの窓には、そのまま指で文字や絵を書き込むこともできるでしょう。

パーティションはそもそも「一時的に空間を分かつ」手段として機能します。必要なときには空間を仕切りますが、不要な時にはそれを取り除いてより大きな空間を作ることができます。分かつようでいて、繋ぎ合わせることも担います。雨から晴れまで、純粋な「0」と「1」とでは表現しきれない無限の天気があり得るなかで、それを滑らかに切り替えながら、時にオフィスのデスク同士を、時に家庭のリビングルームとキッチンを、緩やかに遮り、時に繋ぎ合わせます。

露の行列

自然界は乱雑性に満ちています。しかし人間は、どうにかそこに意味や整然性をもたらそうとします。私達は、空に散らばる光を自らの意思で結び合わせては星座と呼び、神話の舞台としました。数字を操り天体の動きを記すことで暦を作り上げました。うねる雲の動きを捉え、明日の天候を占うことを始めました。これらは全て、無秩序に秩序をもたらすこと、つまり一見乱雑なものを整理することで、ある種の規則や法則を見出す行為です。

この作品は、本来雨粒を雑然と降らせるだけの雨を一度一箇所に集約し、天井から同時にそして整然と降らせることを試みます。天井には格子状に配置された穴があり、そこから一定の感覚で水滴を落とします。天井がゆっくりと回転することで、水滴が床面に幾何学模様を描きます。公園などの公共の場所に設置される水のオブジェには噴水などがありますが、この作品はそれに代わる新たな表現としても機能し得るでしょう。

私達は乱雑さに直面すると、不快感や時には恐怖さえも覚えてしまうものです。普段の生活の中では多くの場合「避けるべき対象」であった雨が、ひとたび規則的に降り注ぐだけで、途端に「鑑賞すべき、楽しむべき対象」へと価値を変換を遂げます。人の手によって乱雑性が整然性へと翻訳されるあいだに、ものの認識にはある種の跳躍的な変化がもたらされるのです。これは、自然の営みに対する人間の介入の本質でしょう。

水飛沫のストッキング

有史以来、人は雨を避ける方法を探してきました。衣服は外界から身を守り、体温を一定に保つための道具です。ですから、それを濡らすことは最も避けるべきことの一つであったでしょう。ただ、装身具は古くから同時に装身具としての役割も担ってきました。これは自己表現の手段でもあります。天候や状況によって変化をつけ、季節性を反映させます。つまり、誰もが衣服によって意識的にも無意識的にも自然との繋がりを保ちながら、表現者となっているのです。

この作品は、普段は無地単色の至極シンプルなストッキングです。ただ表面には全面に超撥水加工が施されているため、雨風にさらされた際には水を弾く機能的な「装身具」としての側面を備えています。一方で、部分的に水玉状に知超親水の加工も施されており、それらの箇所には逆に水が染みこんでいきます。水が染み込んだ部分は濃く見えるため、雨天の時にだけ浮かび上がる水玉の模様を楽しむことができるという「装身具」としての側面も備えています。

水との接触という、本来装身具の機能に差し障りのあるものを逆に纏うことで、寧ろ装身具としての衣服の楽しさを増すことはできないか。この作品は、そういった裏返しの発想と粋な遊び心を内包しています。「美しさの探求」という文脈から語るならば、これは景色を飾る舞台設定としての雨、魅力的な美しい雫を直接的な借景として服装のなかに取り込んでいく一つの表現方法です。また、周囲の環境を自己のなかに取り込むという文脈からは「自然との共生」というテーマにまで思考は広がっていきます。

Team

Production:

Diamond Design Management Network

Planning & Creative Direction:
Kotaro Watanabe, Kinya Tagawa
Photography:

Takashi Mochizuki

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